笑う門には福も来る

鈍間な主婦の気儘で憂鬱で有頂天な日常。

「たまゆら」*あさの あつこ著




たまゆら」*あさの あつこ著


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「離さない。絶対に離さない。もう二度と、行かせたりしない」ここから人の世が尽き、山が始まる。そんな境界の家に暮らす老夫婦の元へ、一人の娘が辿り着いた。山に消えた少年を追っていると言う。しかし山はそう簡単には、人を受け入れない。
人でなくていいのなら、越えてしまえ―。
狂おしいほどの想いにとらわれ、呼ばれるように山へ入った人々の赦しと救いを描く慟哭の物語。


sao☆マガジンタワー




超えてしまうその瞬間に
人は何を想うのだろうか

この方の言葉はそうしていつもワタシを言葉の闇へ誘い
己の胸のその闇へと引き込み眠れぬ夜に陥れるのです。


物語がどうあるのかそれ以前に
言葉の使い方や文体、それらが生み出す独特の世界観がですね
堪らなく好きな作家さんで。

ワタシの中では、京極夏彦氏とも肩を並べるほどのww
人によりけりでしょうが、ワタシにはそれぐらいの作家さんなのです。

とくにぬばたまといい「山」と題材にされる時には
一層の粘質を帯びるような気がするのです、その文体に。
気のせいかなぁ
そこがまたワタシのストライクゾーンでですね
もうもう読みだすと深みに嵌り込むと言う・・・
表現に溺れてしまうのです、浸かって浸って、自分の感覚が麻痺してしまう程に。

読み進める程に心根を捕られ
そのまま彼女の表現の一部に溶け込みたくなるのです。
自分自身の実体こそが、疎ましく感じると言うか。

これってなんでしょう?

ってこんな事、人に聞いてどうなるものでも無いですねぃ。すみませぬ。



さて、物語。
境界に住まうのは、いつか境界を越えたある人とその出来事と
向き合うその日を待っていた二人。
訪うその彼女は、そのきっかけを持っていた。

追いかけるその思慕に通ずるものが在れば、引き込まれる事は難しくは無い
過去と今の情念が次第に絡み合う、その感情に立つさざ波が
静かな筈の境界の暮らしに、大きな変化をもたらしてそうしてやっと終える日を迎えるのです。



良かったのか、悪かったのか。
それでもそのままにしておけないのであれば
きっと二人はゆくしかなかった。

雪崩を起こしたのは山だろうか、それとも境界を越えたかつてのその人の情念だろうか。

山は答えないから
境界の袂で待つしかない。

厳かであり雄大であり
安らかであり険しくもあり、きっと無責任だ。


行きたいなぁ。
行って、挑んでみたい。
この実体が煩わしいなら、境界を越え人を捨てるのも、きっと悪くないな。











おしまい