笑う門には福も来る

鈍間な主婦の気儘で憂鬱で有頂天な日常。

『十字架』・重松清著

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悲しみを乗り越えるなんて本当は出来ない事かもしれない
薄らいでゆく事のない想いを抱え続けて生きる強さを、備えるにはどうしたら良いのだろう。









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いじめを止めなかった。ただ見ているだけだった。それは、「罪」なのですか――?
自ら命を絶った少年。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。

いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。



BOOKDATEより






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「あの人」も苦悩している
本当はどうすれば良かったのか
あの時怒鳴って泣いて哀しみを露わにすれば良かったのか

その場面に出くわした私は、何となく気づいた
悲しければ大人だって、子どもを責めたって許されるのではないのかな
その事がどんな結果になったって悲しいものは悲しいのだと
伝えても良いのではないのかなと、そう感じました。




この類の物語にいつも出てくる言葉
「こんな事で死ぬとは思わなかった」
そうしてそれはきっと
現実の場面においても非常によく使われている言葉なのだろうなぁと思う。

誰もが知っていた
だから日常の風景になっていた
彼がされる事も、自分たちが見過ごす事すらも
当たり前の景色になっていた

自分の記憶にある、景色が物語の中に在って
その事に、正直息が詰まるのです
ただ違う事は私が見過ごしていた彼らは死ななかった、生き続けた。
でも本当は、私の景色に居た彼らだってそうしたい、そうしようと思う事があったのかもしれない。

あの頃から今までにニュースを見る度に、想いは過ぎっていたのです。






どうしてこの二人だったのかは、明かされないままに、この物語は閉じてしまいます
これだからかなぁ
こう思うからかなぁ
繰り返し描かれる思い出の数々の中にその理由を探そうとするのですが
明確な答えは探せぬままになってしまいました

其処のところは読みしろ、と言いますか
読む人によって考えても良い事なのかなって都合よく解釈し
時折思い出しては
あの遺言を書いた少年の、その時の心情に想いを重ねてみたりもします。


あの人と僕の間にも
確たる答えは見いだせていないような
結局本当に歩み寄り出来たのかなってそうでもないような
でも本当の人の営みってこういうものなんだろうなぁとですね

記される言葉の一言一句が、じっとりと脳裏に貼り付くのです
丹念に描かれる一人一人の感情が
言葉として目で読んだ後に、ゆっくりゆっくりと、感情の襞に隙間なく浸透してゆくのです。


だからずっと考えている
でもやっぱり分からないでいる
それは私があの少年の立場にならないと
永遠に分からないものなのかもしれない、と、最近そう思い始めてきました
なので感想を書くと言う行為に、至る訳なのです。



悲しみは、消えないよ。

最近耳にした。大好きな人がそう言った。
だから、きっとそうなんだろうし、本当は私も、その事には気付いている。
悲しみは消えない。思い出していないだけで無くなりはしない。
だからふとしたきっかけで簡単に思い出せる。簡単に悲しみの淵へ戻される。

だけど生きている
だから、生きているのだろうか。



無くならない悲しみを抱えるからこそ、見つかられる答えもあるのでしょう。
眼前の十字架、それから、あの人と僕はどうなってゆくのか
その先を想像する、今の私なのでありまする。

しんどいかも。でもできれば読んで見ても良いかもです。
自分のした事と、された事がたくさん詰まっている。
言いたかった事も、言われた事も。今なら読める事が、たくさんでした。











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