笑う門には福も来る

鈍間な主婦の気儘で憂鬱で有頂天な日常。

かたちあるもの。かわりゆくこと。

***





「一体どんだけCDあると!?」
友達に尋ねられた女子は、とりあえず並ぶ棚を写真に撮り、ラインで送信。
毎月数枚増えるからなぁ。ここ数年は特にひどい状態。









最近入手したて。今の形と、かつての形。
上下はそれぞれ違う人の作品なんですけどもね。

上の方は、かつての形を「休止」と表現し完結をせず、今を「隙間」の意味を持つ単語と共に活動していて
下の人は解散としたかつてを、惜しまれ続ける今、懐かしむ時間をくれた。

沢山の人たちが、「今」を受け取りつつ、それでも「あの頃」を止まず求めている
思う事は自由であり
受け取る私達が、自分の想う事を、思いの丈を語る事は勿論自由ではあるのです。
そうして勿論
私達の愛するその音楽人が、自分の音楽を表現するその形を、彼らの意思で変えてゆく事も、自由。

私はただ、受け入れたいと思う。
そうして届く音楽が私の心を揺らすものであれば聴き続ける。ただそれだけ。
寂しくとも、音楽は残る。この手元にちゃんと形として留まってくれる、だから。
私はいつもどうしても買うのだと思うのです、レコードを。寂しくならないように。

ま、
マリーズはですね、やはりですね

「どうして解散なんか・・・・・!」
唸ってしまいました。あまりに素敵だった、『マリーズ・メイニア』は。でも良いの。今のしまくんも、ドレスコーズも大好きだから。
といいつつ認識としては、はっきり別物ですね。当たり前ですが、今は今。そう感じます。


theHIATUS。
もやっぱり、今は今だと思う。
私は、以前の形を、見掛けた程度しか知らないのですが、すんごい人気でしたよねぃ。
今は今で相当かっこよい。
と、ついでに言うと、タカくん、影響受け過ぎやろ・・・・・ぷぷぷ。
6月、初参戦。お昼休みに、書店に行っては、色んな雑誌チェックしまくっている私です。
今を、届けてくれる。それは私が知っている以外にも沢山の人たちが同じような事をしている
そして沢山の人が、その音楽を待っている。
形が変わったら、誰かは寂しくなっても、別の誰かの一番に成り得るはず。きっと。




この二つの音楽に触れて、納得している自分が可笑しかった。
じゃ、ゆのちゃみもきっと今のままでいいんだろうなって、そう言う事にもなるなぁって。
私はもう聴かないけど。それは何かの意地とか拘りではなくて
単純に彼らのその音楽に、興味が持てなくなってしまった事実。
形を変えてしまった彼ら
それは不可抗力とはいえ、その選択により形を変えた彼らに、私は寂しさを覚えた
でもそれは同時に、誰かの輝きにも、支えにもなっている。これはきっと、彼らの変化が、引き寄せた流れなのだ。

好きな形に出会うと、これ以上の出会いは無いと変化を拒んでしまいそうになるけれど
形あるものはいつでもその形が出来た時点で、次の変化に向けて準備しているのかもしれないなぁなんて
そんな事を考えている。
好きなものは好きだ。でもその変化を楽しめる余裕も、持ち合わせていたいなぁ、今は。
そしてもっとたくさんの音楽に出会えたらいいな、人生は意外と短そうだから。





そんな深夜の、長くなっちゃった呟き。
好きなものは好きだと、寂しい時は寂しいと言おう。
でも好きな人を否定する自分にはなりたくないな、と戒め。そんな春の夜は、少し肌寒い空気。